今阪屋の屋号

img077今阪屋の屋号の由来は文政年間(1818年~1830年)に、吉野の南家より分家して宇陀松山に移り住んだ 南 幸助の妻、聿が幸助亡き後饅頭を作って商売を始めました。
特に今坂饅頭(今坂餅とも言うそうです)が評判になったので、屋号を「今坂屋」としたのが始まりだそうです。
今坂饅頭と言うのは、現在の大福餅の様な饅頭で赤や黄の色を付けて成型した物だったと聞いています。

明治の中頃に3代目の藤平が料理屋を始めました。この頃は饅頭屋だった時の屋号「今坂屋」をそのまま使っていたのですが、
明治35年頃5代目の由蔵が旅館を始めた際に、4代目が早くに亡くなった事や、後を継ぐ筈だった子供を亡くしてしまったりと、不幸事が重なったので「坂」の字は土に返ると書くので縁起が悪いと「坂」を「阪」と改めて「今阪屋」としたそうです。

当時は看板を書き替えただけだったので、昭和初期の奈良縣電話番號簿に「今坂屋」と書かれていましたし、私が子供の頃の写真にも「今坂屋」と書かれた暖簾の前で撮った物があます。
これらは誤植だった様で、発注の時に「今阪屋」で注文しているのに、受注側が勘違いしてわざわざ字を書きなおし印刷や染織に回した様です。

屋号を換えて30年以上経っても「今坂屋」と名前の入った仕込み箱(岡持ち)や湯呑や灰皿を使っていたため、まだまだ「今坂屋」と認識されていた様です。またこの頃はのんびりした時代だったので、特にクレームを付けると言う事もなく「あぁまた間違えてるわ」程度でそのまま使用していたそうです。
それに現在でも、御付合いの古い取引先の請求書や領収書には「今坂屋」と書かれている事があります(笑)

名物料理
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